東京ディズニーランドで全財産を使い果たした母

『民放がたったの2チャンネルしかない』

という話をすると驚かれることが多いのだが、
私が生まれ育った宮崎県は、民間のテレビ局が2つしかない。

1972年に沖縄がアメリカから日本に返還されるまでは、
宮崎は日本国内で南国の雰囲気を最も味わえる場所として、
新婚旅行先の人気No.1だったようだ。



ということは、日本国民からして、
宮崎は『遠い場所』ということだ。

実際に、『陸の孤島』という言葉があるほど、
お隣の鹿児島、熊本、大分との間は
とても深い山に囲まれており、
福岡の博多まで行こうとすると、
高速バスで4時間半、
JRで行くと5時間半もかかってしまう。。
一度隣の鹿児島に出て、
鹿児島経由で博多に出れば4時間に短縮できる。
(さすが、源平合戦に敗れた平家が
隠れるために逃げ込んだだけのことはある。。)

私が衝撃的だったのは、
子供の頃愛読していた『少年ジャンプ』が、
火曜日に発売されるものと思っていたのが、
都会では月曜日に発売されるということを、
大学時代に知った時だった。

今となっては、
インターネットが普及したことにより
情報格差が少なくなりつつあるが、
まだインターネットが無かった時代において、
この地域の差における『情報格差』
かなりのものだったと思う。

そのような中、
青年期の私にとっての『大都会東京』は、
テレビでしか見たことのない、
まさに『憧れの地』だった。

民放が2局しかないテレビ番組の間に、
内山田洋とクールファイブの『東京砂漠』
という曲が使われているCMが流れていて、
そのサビのフレーズが今でも頭に残っている。

歌の内容としては、
東京でのつらい暮らしを労うものになっているが、
私にとってはまだ見たことのない東京という地に
期待に胸を膨らませてくれた、
思い出のCMだった。

★当時のCM
http://hirajo.com/tokyo-sabaku

時は『つくば万博』が開催された1985年。
ちょうど私が9歳で小学3年生で、
父親の仕事の関係で、
家族全員で東京に行けることになった。

鉄道が発達していない宮崎に住んでいた私は、
生まれてからまだ電車に乗ったことすら数回程度。

飛行機に乗るのも初めてで、
羽田空港から浜松町に向かうモノレールに乗った私は、

『電車が空を飛んでいる!』

と、とても興奮を覚えたものだ。

まさに東京は私にとって『未来都市』だった。

宿泊したホテルはニュオータニと赤坂プリンスホテル。
子供の私にはわからなかったが、
超一流のホテルなので、
宿泊料も安くなかったに違いない。

東京には4日ほど滞在することになり、
最初の2日間は家族5人でつくば万博に、
後半の2日間は父が仕事をしている間、
私を含む兄弟3人は母と一緒に東京ディズニーランドに行った。

東京ディズニーランドは1983年に開園なので、
まだ開園して2年しか経っていないことになる。

つくば万博は2日間では回りきれないほど広かったし、
東京ディズニーランドは、まさに夢の国。

この4日間は、
私にとっては『夢の国』に来た気分だった。

そんな中で、
ディズニーランドの帰りに、
母から『何か好きなものを買っていいよ。』

と言われた。

普段、デパートなどに行った時に
玩具をねだってもなかなか買ってくれない人だったので、
ディズニーランドでも期待はしていなかったのに、
母からこういうことを言われたのは、
とても拍子抜けしてしまった。

私が『本当にいいと?(宮崎弁)』と聞くと、
母は『お金のことは気にせんでいいっちゃが。(宮崎弁)』

と言った。

こういう時、
男の子なら玩具やゲームを買うのだろうが、
なぜか私達は甘えん坊だったからか、
『ぬいぐるみ』を選んでしまった。

2歳上の兄はプルートのぬいぐるみを、
3歳下の弟はドナルド・ダックの甥っ子の
『デューイ(子供のキャラ)』のぬいぐるみを、
そして私は思い切って売り場にあった、
一番大きいミッキーマウスのぬいぐるみを選んだ。

当時身長が135cmぐらいだった私の
半分ぐらいの大きさだった。

もちろん値段も一番高く、
7千円ぐらいだった。
母は特に値段も気にせずに、
私達が選んだぬいぐるみを買ってくれた。

そういえば、園内を過ごす時の食事に関しても、
母は特に値段を気にしている感じがしなかった。

普段はお金を使うことに厳しい母が、
こんなにもお金のことを言わないのは、
初めてのような気がした。

こうして夢のような4日間が過ぎ、
宮崎に帰ってきた翌日、
私は急に心配になって母に聞いた。

私:
『お母さん、お金まだのこっちょる?(宮崎弁)』

すると、母は自分の財布を開いてこう答えた。

母:
『無くなったから、また頑張るわね。』

母の財布の中を見ると、千円札も残っておらず、
本当に小銭しか入っていなかった。

当時の私にとっては、
なんともいえない複雑な気分になった。

母は普段私たちに我慢をさせてきたので、
東京旅行では最高の幸せをプレゼントしたい、
と思っていたに違いない。

一度の旅行で旅費・宿泊費含めて50万円以上を使っただろうから、
手取りで10万円行けば良いという
当時の宮崎の賃金事情からすれば、給料5ヶ月分。

今となっては、
さすがにこの時に全財産を使い果たしたわけではなく、
銀行にもお金を残していたのだろう、
ということは想像できるが、
母にとってはかなりの奮発だったに違いない。

親というものは、
自分の子供には不自由のない生活を過ごさせてあげたい、
と思うものだが、
私は逆にこういう母の背中を見て育ったから、
ハングリー精神を養うことができたのではないかと思う。

<追伸>


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