情報発信活動をして良かったと思う26の理由(現在進行系で増殖中!)

9月 28, 2021

私は2006年に29歳でITエンジニアとして独立起業をし、@SOHOの運営やシステム開発事業を行ってきました。その3年後ぐらいから、これまでの経験をもとに情報発信活動を開始しました。それから約10年が経過しましたが、情報発信活動をしてきて良かったことについて、振り返ってみました。

その1)好きなことを仕事にできるようになった

平城寿

自分の興味・関心があることについて情報発信をすると、徐々に同じテーマについて興味・関心がある人が集まってきます。人が集まれば、そこに何らかのビジネスを創り出すことができます。テーマは何でも良いのです。自分の専門分野を活かすものでも良いですし、自分の趣味の延長線上でも良いですし、コンプレックスを解消するテーマでも良いです。
ポイントは、「人が集まれば必ずそこにビジネスチャンスが生まれる」ということです。

その2)好きな時に、好きな場所で仕事ができるようになった

2012年4月 北極ノマド達成
2012年4月 北極ノマド達成

2013年8月、スリランカのシギリヤ・ロックにて
2013年8月、スリランカのシギリヤ・ロックにて

自分が発信した情報をインターネット上にアップロードすれば、文字、音声、動画といった形で24時間365日公開可能となります。つまり、私がどこにいても、寝ていても旅行をしていても、誰かがそのコンテンツを視聴してくれて、何らかのアクションを起こしてくれているのです。ちょうど今この文章を読んで下さっている、あなたにも何らかの影響を与えることができている、ということです。

好きな時に、好きな場所で仕事ができるようになれば、多くの方が憧れる「長期で海外旅行をしてみたい」という夢も実現させることができます。しかも、インターネット経由でお金を稼ぐことができるので、日本に戻ってくる必要も無いのです。

そしてビジネスを成長させることができれば、お金と時間に余裕ができ、働く時間も減らすことができます。

ちなみに私の場合は、仕事が楽しすぎて好きで仕方がないので、「南の島でアーリーリタイヤ」は性に合わず、時間があれば新しいことにチャレンジしています。

その3)通勤電車や渋滞に巻き込まれることがなくなった

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平城も11年前までは通勤していた

会社に雇われているわけでもないし、取引先に縛られているわけでもないので、人と同じ時間帯に人と同じ場所に居なくて良くなりました。私は現在東京の都心部に住む場所を構えていますが、通勤電車や道路の渋滞とは無縁です。

その4)いつでも好きな格好をしていられるようになった

平城寿

私はIT業界という、比較的ラフな格好が許される世界で会社員を4年半経験しました。といっても、そのうち半分ぐらいはスーツを来て過ごしました。スーツ自体は嫌いではありません。バッチリと決めればとても格好良く見えますし、気持ちも整います。

しかし、毎日着るものでもないと思います。シチュエーションに応じて着るものだと思います。ところが今の世の中は「とりあえずスーツを来ておけばいいだろう」的な風潮があり、ファッションに無頓着な人が、「スーツに着せられている」パターンが多いと思います。

私は会社を辞めて独立してしばらくはジャケパンスタイル(ジャケット+パンツ)で過ごしていましたが、情報発信ビジネスをスタートし、ITのビジネスで従来の取引先に行くことも減ったので、ジャケパンスタイルもやめてしまいました。

今は自分で「ノマドファッション」というジャンルを定義して、ノマドで仕事をするためにふさわしい服を自分でセレクトしています。自ずとアウトドア系のブランドで身を固めることになりますが、「いかにもアウトドア風」という感じにならないように、機能的でありつつも都会的な洗練されたデザインのものをセレクトするようにしています。
ちなみに私がよく買っているブランドは、Arc’teryx、Marmot、Oakley Golf、Calvin Klein Golf等です。

その5)あらゆるビジネスにおいて重要な『集客力』をつけることができた

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情報発信をする目的の1つに、インターネット上での集客を行うということがあります。現在、集客を行う手段としてソーシャルメディア(Facebook、Youtube、twitter、Instargram、Pinterest等)が広まっていますが、ソーシャルメディアの種類も増えており、それぞれについて流行り廃りがあります。

また、ソーシャルメディア上で力を持っていても、そのソーシャルメディアそのものが廃れていけば、集客力が落ちますし、ソーシャルメディアの運営企業のルールが変わることによって、収益に影響が出てくくることがあります。例えば、YouTubeの広告費用の単価が下がり、YouTubeの広告収入だけで食べていた人達の首を締めることになったり、公式LINE(旧:LINE@)が実質的に有料化され、利用のハードルが上がったりしています。

つまり、ソーシャルメディアは有効なツールではありますが絶対的なものではない、ということです。ソーシャルメディアはいわゆる『拡散』と言われる、口コミによる広まりが良いところなので、入り口としては活用メリットがありますが、ソーシャルメディアに依存したビジネス構造になっていると、こういった煽りを食らってしまうのです。

ソーシャルメディア頼みにするのではなく、ソーシャルメディアを活用して、本当の『情報資産』を創るのです。

例えばメールマガジンの読者というのは『情報資産』に該当します。それはいつでもこちらが情報を配信したい時に、相手に情報を発信することができるからです。

そしてこの集客というものはインターネットビジネスだけでなく、ありとあらゆるビジネスに必要不可欠なことです。

私は情報発信を行うことで、ありとあらゆるビジネスに必要不可欠な『集客力』をつけることができたので、将来への不安も無くなりました。

その6)アップル製品を好きなだけ買えるようになった(むしろ、買うことが仕事?)

平城寿の書斎
平城の日本時代の書斎

私は情報発信をするために必要なデバイスはアップル製品で統一しています。その理由は沢山ありすぎて、ここで挙げるとキリがありませんので割愛しますが、今は15インチのMacBookPro、12.9インチのiPad Pro、iPhone 11 Pro Mqx を利用しています。

もともと仕事の道具にはコダワリを持って選んでいましたが、情報発信をするようになってからそれが加速しました。

自分が使っている機材を発信すると『それ、どこのですか?』と尋ねられることが増え、『平城さんに影響されてMacを買いました!』と言って下さる方が増えました。5年前はまだ私のまわりではMacを使っている人は殆どいませんでしたが、今は10人中9人はMacユーザになってしまっています。。

そうすると、何か妙な使命感が生まれ、アップルの新製品が発売されたらとりあえず買って自分がまず試してみて、レビューをするようになりました。メインで使っているMacBook系は毎年買い替えているのですが旧機種は全然問題なく使えます。これも情報発信をしているおかげで、必ず『平城さんのMacが欲しいです!』と言って下さる方が現れ、もうかれこれ過去7世代の『平城Mac継承者』が登場しています(^^)

こうやって自分の道具を継承して下さる方が出てくるのも、情報発信をしている魅力です。

ちなみに、私が持ち歩いている機材一式は、『総重量12Kg&総額100万円超?平城寿が持ち歩いているノマドアイテム一式』にまとめています。

その7)沢山の趣味ができた(海外ノマド、写真、ハイレゾモバイル音楽鑑賞、ドローンなど)

仕事と遊びの境目が無くなる
仕事と遊びの境目が無くなる

今でこそ、『平城さんのライフスタイルに憧れます!』という方が本当に増えましたが、私はもともと、人に自信を持って言える趣味というものはありませんでした。ただひたすら独立起業することに没頭して、全く遊んでいなかったからです。

まだ独立起業する前に会社などの組織中で自己紹介する時に、趣味の話になると『映画鑑賞、音楽鑑賞、スノボ』などと『平均的な』ことしか言えず、気まずい思いをしていました。

自分の中で

俺って、差別化要因無いな〜

と思っていました。

29歳で独立起業して3年間ぐらいもそのような調子でした。ところが、独立起業して4年目に入った時、それまでの経験をもとに情報発信活動をスタートしたところ、情報発信活動によっても収入を得ることができるようになりました。

情報発信をすることによって『非労働集約型の収入』が格段に増え、時間と場所の自由が増えました。すると海外で旅をしながら仕事をすることができるようになりました。

最初は海外の美しい風景に出会う度に、iPhoneで撮影をしてFacebookに投稿していました。驚いたことに、日本人にとって海外はやはり敷居が高いせいか、海外で撮った写真には数多くの『いいね!』を頂けるということに気づきました。

このことをとても嬉しく思った私は、写真を撮影することにだんだんのめり込んでいき、自分の中で『海外での美しい風景を撮影してFacebookに投稿する趣味』が生まれました。

撮影を繰り返していくうちに、夜景を撮影するにはiPhoneでは限界があることがわかりました。そこで私はSONYのRX-100という高級コンデジ(高級コンパクトカメラ)というジャンルのカメラを購入し、このカメラを使って撮影していきました。

数あるカメラの中でこのカメラを採用した理由は、『デジカメの中で最も高画質な写真が撮れる』という点でした。SONYのコンパクト技術はやはり世界最高です。このコンパクトさで、一眼レフ並の写真を撮ることができるのですから。

(デジカメと一眼レフの違いは、レンズが交換できるかどうかです。レンズが交換できる一眼レフは、状況に応じてレンズを使い分けることで、より効果的な写真撮影を行うことができます。)

当時の私の海外ノマドスタイルは毎月5都市を移動するというもの。一眼レフのような大きなカメラを持ち歩くのはなかなか大変だったので、RX-100を採用していたのです。海外で持ち歩きできるコンパクトさで高画質な写真が撮れるこのカメラを、私は『ノマドカメラ』と命名して使っていました。

その後、自分が主宰するFacebook講座に参加頂いた皆さんのプロフィール写真を撮影するようになり、するとRX-100では力不足を感じるようになりました。そしていろいろ検討した結果、やはりSONYのα7Rに魅せられ、このカメラをメインで使用するようになったのです。

平城寿のカメラ機材一式
平城寿のカメラ機材一式

ここで私は、『Facebookのプロフィール写真を撮影してその人の魅力を引き出す趣味』を持つことになったのです。

私が過去に撮影した写真の一部は、こちらからご覧頂くことができます。(成幸フォト

ある時私は、海外の美しい風景を空から撮影したいと思うようになりました。ちょうどその時、『DJI Phantom』という、小型のカメラを積むことができる『ドローン』という機械があることを知りました。すぐにこれを購入し、アジアの国々を周りながら素晴らしい景色を撮影して周りました。

平城が撮影した無人島
平城が撮影した無人島

こちらは2014年当時のfacebook投稿。当時はまだ Phantom2 の時代で、カメラは別途 GoPro を搭載する必要があり、なかなか敷居が高いでしたね😅

そしてこんなのを海外に持ち出す人もいなかったのでイミグレ通過も一苦労でした😅

こうして私は、『海外の美しい海や朝日や夕日を「ドローン」を使って撮影する趣味』を持つことになったのです。

2014年当時、外国の南の島に行って無人島を撮影したり、自分が保有する海外不動産の現場を特別な許可を頂いて撮影したりしていました😆

今では当たり前となったドローン撮影も、2014年当時はまだPhantom自体が珍しく、旅先で飛ばしている人も皆無。 現地の人々から、本当に珍しい目で見られたものです。

この他にも、ノマド中に好きな音楽を楽しむために『ハイレゾ音楽再生環境』に夢中になり、10万円以上するヘッドホンやイヤホンを複数所有するようになったり、『Lotoo PAW GOLD』という28万円もするウォークマンを購入するようになったりしていきました。

10万円高級イヤホン『Weston W60』
10万円高級イヤホン『Weston W60』
28万円高級ウォークマン『Lotoo PAW GOLD』
28万円高級ウォークマン『Lotoo PAW GOLD』
左からゼンハイザーのHD800、ULRASONEのEdition8(ヘッドホン)とIQ(イヤホン)、SHUREのSEシリーズ、SONYのNW-ZX1(ハイレゾウォークマン)とastell&kernのAK120(ハイレゾウォークマン)

ここで私は、『ノマド中に好きな音楽を楽しむための音楽再生環境を追究する趣味』を持つことになりました。

もちろん、「海外を旅すること」そのものも、自信を持って言える趣味になりました。

このように、私は情報発信をしたおかげで人に自信を持って言える、しかもかなり『差別化要因の高い』趣味を複数持つことができるようになりました。

その8)趣味が実益に結びつくようになった

海外ノマド倶楽部
海外ノマド倶楽部

私はもともと、海外で資産運用がしたいと思って32歳ぐらいから頻繁に海外に出るようになりました。

最初は海外不動産を購入するために視察ツアーに参加していたのですが、海外不動産の視察ツアーというものは「旅」の要素が強く、とても刺激があり楽しかったのです。

当時の私は、まだ時間と場所の自由を十分に得られているというわけではなく、海外に行くことはITの顧客には内緒にして、コッソリと行っていました。私が長く海外に滞在しているということを知られると、『うちの仕事をちゃんとやってくれているのかな?」と不安に思われ、仕事の受注が減るかもしれないと思っていたからです。

そして私が海外に居る時に決まってシステムトラブルが発生し、顧客から電話がかかってきて、海外の出先から対応をしなければならない、ということもありました。

ある時はコソボからマケドニアに移動している時に顧客のシステムトラブルが発生し、乗っていた車の中で対応していたのですが、国境を超えた途端、SIMカードが使えなくなり、唖然としました。

国境超えた途端、インターネットが繋がらなく・・・大ピンチ!
国境超えた途端、インターネットが繋がらなく・・・大ピンチ!

とっさに私は知り合いのITエンジニアに電話をして、電話で指示をしながら、私が言ったとおりにコマンドを入力してもらい、なんとか無事に復旧することができました。

そこで「もっと海外に滞在したい」という気持ちが強くなり、2年ほどかけてそれまでの自分のITのビジネスの仕組みを再構築し、自分が日本に居なくてもビジネスが回るような状況を作ることができました。

それを自ら「海外ノマドスタイル」と命名し、Facebookなどで発信をしていったところ、沢山の方から共感頂くことができ、海外ノマドというテーマでセミナーを開催することもできるようになりました。その延長線上で2013年に立ち上げた「海外ノマド倶楽部」には現在3,000名の方が参加されています。

Facebookで自分のライフスタイルを発信したことによって共感者が集まり、そこからまたビジネスが生まれました。その時に自分がやったことを体系化し、「平城式Facebook」という講座を立ち上げることになり、またこの講座を運営していく中で写真に夢中になり「成幸フォト」というサービスも生まれました。

このようにして、少しずつ『自分の好きなことだけをして収入が生まれる』という状態になっていきました。

 

その9)子供の学校の行事にオール参加可能できること

平城寿

私には2人の娘がいます。長女は2007年生まれ、次女は2010年生まれですが娘達の学校のイベントには基本的にほぼ100%参加できています。

現在は毎日の学校や習い事の送り迎えもしています。仕事の予定を入れる前に娘達のスケジュールを確認して、そこにかぶらないように自分の予定を組んでいます。子ども達に通わせる学校の環境に応じて、東京→名古屋→東京→メルボルンと、柔軟に移動して来られたのもこのスタイルのおかげです。

その10)2人の娘に『パパ大好き!』『パパ格好いい!』と言ってもらえていること

平城寿

この記事を最初に執筆した2016年時点では長女は9歳、次女は6歳でしたが、当時は『パパ大好き!』『パパ格好いい!』と言ってなついてくれていました。だいたいこのぐらいの年頃になると、女の子は『パパあっち行って!』となるようなのですが、平城家の場合、そうはなっていません。これは小さい時の「接触時間」が影響しているようです。

小さい時に娘達と沢山の時間を一緒に過ごせたのも、私が情報発信をすることによって「時間」と「場所」の自由を確保できるビジネスをしていたからに他なりません。

2021年9月25日追記

長女は中学生になり、次女も小学校高学年となり、今では「パパ臭い!あっち行って!」と言われるようになりました。これも正常な女の子の成長の証だということで嬉しく受け止めています🤣

その11)仕事面、プライベート面共に、人間関係のストレスが皆無なこと

2017年6月の出版記念パーティーにて

情報発信する前の私の人間関係は、地元のや学生時代や友人や会社員時代の知人だけ。といっても、私は独立起業してITの分野で一旗揚げたいと思っていましたがその夢を100%共有できる仲間はいませんでした。また、一緒にいても自分の考えや性格を全てさらけ出せる相手は妻以外には殆ど居ませんでした。

妻には「あなたってお友達いるの?」と聞かれたことがあるぐらいです(苦笑
今となっては信じられないようなことですが、結婚式は妻の希望により海外で身内だけで挙げることになったので内心ほっとしました。

もし日本国内で盛大に開催することになったら、呼べる人が居なくて困っただろうと思います。もちろん、表面上お祝いをしてくれる人はある程度呼べたと思いますが、「心の底から喜びを分かち合いたい」と思える人がいたかというとそうでは無かったのです。

情報発信をスタートするとその状況は少しずつ変わっていきました。メールマガジンやFacebookで「共感します!」というコメントを頂いたり、Facebookで「いいね!」が多く集まるようになり、自分の正直な考えに共感を持って頂ける方が世界のどこかに居るということがわかり、また情報発信活動を継続すれば共感者がどんどん増えていく、ということもわかりました。

知り合うきっかけはオンラインであっても、オフ会やセミナー、懇親会といった場で直接お会いしてみても、初対面のはずなのにお互いに昔から知っているかのような親近感を覚えました。

そして気がついてみれば3年ぐらいで私の人間関係は激変し、自分の周囲には『本音で話せる人』しか居なくなりました。それも数人とかいう単位ではなく、数十人、数百人という単位で・・・

これはとても凄いことだと思います。学校のクラスに1人ぐらいは、本音を何でも話せる『マブダチ』という存在がいたかと思いますが、自分の交友関係を全員、このマブダチ級の人たちで固めることができるのですから。。

そして人の目を気にしたり、本当ではない自分のキャラを演じたりすることが一切必要無いのですから。自分が自然体でいることができ、それを受け入れてくれる人しかいないという世界は、人間関係において一切ストレスが無いということです。そしてこれはとても幸せなことです。

私達は価値観や理念の共有できる仲間のことを「精神世界を共有できる仲間」と呼んでいます。この仲間達と過ごす時間は、疲れることが一切なく、逆にお互いにエネルギーが増幅する感覚があります。

その12)『この人のために頑張りたい』という仲間が沢山できた

『精神世界を共有できる仲間』ができたおかげで、その人達のために頑張りたいという気持ちが強くなっていきました。

自分が相手に対して何らかの価値を提供し、相手がそれを喜んでくれる。こういう関係はとても心が満たされます。

自分のことを理解・共感してくれる人というのはとても大切な存在で、家族といっても過言ではないと思います。

むしろ精神世界においては家族よりも大切な存在かもしれません。その人達に対してだからこそ、駆け引きは必要無く、嘘をつく必要も無く、『無償の愛』を提供することができます。そして家族のように大事にできる仲間がいるということが、自分にとって幸せなことだと感じています。

人は自分のために頑張るよりも、人のために頑張る方が力を発揮できる、ということもわかってきました。

その13)日本国内、海外問わずどこへ言っても会いたいと言ってくれる人、会いたいと思える人ができた

Facebookやメールマガジンを通じて過去にやりとりをしたことのある人は数え切れないぐらいいて、世界中に散らばっています。私に会いたいと言って下さる方も増えましたし、私もまだお会いしたことが無いけど一度会ってみたい、という人が沢山います。それはもちろん、『精神世界を共有できる仲間』の内になりますが。

名古屋を離れる時に撮った伊藤さんとの2ショット

こちらの伊藤さんとは私が2015年当時行きつけのカフェ「元町珈琲」にて毎日のように株取引をしていたのを見て興味を持って下さって、そこから交流が始まりました。

私が名古屋を離れて東京に戻ることになった時に、最後の来店時に撮影したものです。伊藤さん、まだ頑張っていらっしゃるかな。。

その14)常に自問自答する習慣が身につき、世の中のあらゆることに対して答えが出せるようになった

 

日々、自分が設定したテーマについて発信をしていくということは、個々の記事に対して何らかの答えを出すということです。私がテーマにしていたのは『独立起業』『海外ノマド』『成幸』の3つですが、それぞれのテーマについて深く思考を掘り下げることができました。そのおかげで、どのような質問を受けても答えを出せるようになりました。

その15)自分の知識・経験を世の中に文字情報や映像・音声などで『資産』として残し社会貢献できるようになった

 

ある『問い』に対して私が出した『答え』を文字情報や音声や動画として『記録』し、それを必要とする方に届けられるようになりました。人類が発展していくためには『より良く生きるための知恵』を残し、共有していく必要があります。私の持論に『自分が生きた証は、自分が存在した世界と自分が存在しなかった世界の差分である。』というものがあります。私が残した情報によって1人でも多くの人の人生を幸せにする影響を与えることができれば、これほど嬉しいことはありません。

その16)現在抱えている悩みを解決するために、共通の悩みを抱える仲間を集め、一緒に解決していく方法を知ることができた

 

人が情報を求めるのは何らかの課題を解決したいからです。つまり情報の背後には課題があるということです。自分や仲間が抱えている課題を適切な形で発信することにより共同の課題を持つ人が集まってきて、やがてコミュニティーが形成されます。そしてそのコミュニティーで様々な活動をすることによって解決策を導きやすくなります。私は特定の課題を解決するためのコミュニティーを幾つも運営しています。

その17)沢山の方から『共感』されることで『承認の欲求』が満たされた

『精神世界を共有できる仲間』から毎日『いいね!』を頂いたり共感コメントを頂いていると、情報発信をする前よりも一層、自分の存在価値を感じることができました。情報発信をする前は、@SOHOというサービスの知名度が高まっていくのは嬉しいと思いましたが、@SOHOが有名になっても私個人にはあまり変化はありませんでした。

情報発信をするようになってはじめて、自分が社会に残してきた実績が評価されるようになったと感じられるようになりました。テレビ、新聞、雑誌などの「マスメディア」に登場しなくても、自分の共感者(=ファン)と直接繋がることで満たされるようになったのです。

むしろ自分の個人のメディアを通して繋がっている方の方が、『合わない人』が寄ってこないのでストレスフリーです。合わない人は相手から去っていきますからね。

また、自分を認めてくれる共感者というのは、何もその人が凄い実績を持っていなければならないわけではく、発信の目的と内容がクリアになっていれば、誰でも共感者を集めることができる、ということもこれまでの仲間達との活動の中でわかっています。

その18)将来は老後のお金の心配をすることが無くなった

 

情報発信をしてお金を生む方法を理解し実践できるようになると、いつでも好きな時にお金を生み出すことができるようになります。

情報というものは物理的な質量を持っているわけではないので、インターネットを経由して世界中のどこにでも一瞬にして届けることができます。しかも幾らでも複製可能なので、提供する相手が増えてもそれにかかるコストはゼロなのです。

情報は自分というスーパーコンピュータの中に沢山蓄積されています。もしその情報をパソコン上に書き出すとすると、かなり膨大な量になり数百テラバイト級になるでしょう。私たちはそれほど濃い人生を送っているのです。無意味な人生を送っている人などいないのです。

鍵は、自分が持っている情報を適切な形でお金に変える方法を知っているかどうか、ということです。誰かを欺いたり不快な思いをさせたりしてお金を得るのではなく、誰かを喜ばせ、幸せにして感謝されながらお金を得ることができるのです。ここには『正のスパイラル』があるので、発信をすればするほど自分もどんどん豊かになっていきますし、仲間たちも豊かになっていきます。

その19)たとえ老後に体が動かなくなっても脳さえ働いていれば発信活動はできることがわかったこと

 

情報発信という活動は、手足が動かなくても脳が機能すれば可能です。手が動かなければ口で喋って誰かに書いてもらえば良いですし、喋っている内容を音声や動画でお届けしても良いわけです。

さすがに老衰で死ぬ直前には無理でしょうが、普通の仕事よりは遥かに長く続けられると思います。そうなると老後の貯えというものもそれほど必要なくなるわけなので、老後の心配が一切無くなりました。これからは80代、90代のおじいさん、おばあさんが元気に情報発信をする時代になるでしょう。

その20)実年齢よりも若く見られるようになった

周囲から5歳〜10歳ぐらい若く見られるようになりました。確かに、顔にシワは一切無いですし肌ツヤや目の開きぐらいはむしろ10年前よりも良い感じがします。これはやはり日々の生活にストレスが無いことと食生活が乱れていないことに起因すると思いますが、暴飲・暴食に走らなくて済むのはストレスが無いからであり、ストレスが無いのは情報発信をすることによって心が満たされているからだと思います。

たまたま街で小学校時代の同級生をバッタリ会いましたが、相手を見て『やっぱり老けたな〜』と思いましたね。

私は10年後も今のような感じなのではないかな、という予感があります。情報発信によって心(内面)が満たされ、それが外見にも反映されてくるようです。そして情報発信をしていると人から見られる機会も増えるので、適度な緊張感を保てるというのもあると思います。

でも、若さを維持するためにエステに通ったりする必要は一切無いのです。これはエコですね。

その21)ありとあらゆるテーマにおいて活用できるので、様々な属性の方へのビジネスチャンスを提案できるようになった

私はもともとITエンジニアとして独立起業をして3年ほどビジネスをやっていました。当時は自分の専門分野意外のことはあまりわかりませんでしたが、情報発信をするようになり、これはあらゆるテーマにおいて適用可能だということがわかりました。その結果、IT業界以外の方の相談にも乗ることができるようになりました。

その22)『平城さんのおかげで人生が変わった』と言って頂ける方が出てくるようになった

 

メルマガの感想やFacebook上のコメントで、

『平城さんのおかげで独立できました!』
『平城さんのおかげで前向きになれました!』
『平城さんのおかげで結婚できました!』
『平城さんのおかげで人生が変わりました!』

と言って頂ける方が増えました。

というか、情報発信をする前はそんなことを言われたことなんてありませんでした。人生の転機になるほど影響を受ける相手というのは人生でそう何人もいるわけではありません。せいぜい5人以下ではないでしょうか。その人の人生を変える1人に自分がなれるということは、自分の価値を感じることができてとても自尊心が高まります。

私は恋愛マッチングサービスを提供しているわけではありませんが、私から情報発信を学んだ方が、情報発信によって結婚相手を見つけることができるというのはとても素晴らしいことです。私の人生の目標の1つに、『あと何回結婚式に呼ばれるか?』を加えることにしました。この時にはもちろん、喜んで普段は着ないスーツを着たいと思います。

その23)街中で『もしかして平城さんですか?』と声をかけられるようになった

 

本名で顔出しもしているおかげで、街中やカフェや空港などで『平城さんですか?』と声をかけられるようになりました。もちろん、お会いしたことがある方は私も顔を覚えていますが、普段から私の情報を受け取ってくれていて、まだお会いしたことが無い方に関しては、私はその方の顔がわからないことが多いです。自分が知らない方が、自分のことを知ってくれているというのはまるで芸能人にでもなったような感覚がしてやっぱり嬉しいものですね。

 

その24)『一緒に写真撮らせてください』と言われるようになった

 

オフ会、セミナー、懇親会などでお会いした時に、『一緒に写真を撮らせてください!』と言われることが増えました。そんな経験は中高時代のバレーボール部の大会の時以来ですね。これも芸能人になったような感覚がして嬉しいものですね。性別にかかわらず、人からモテるようになるということです。人からモテて嬉しくない人はいないと思います。

その25)商業出版が実現した

人生の中で本を出版する機会というものにはそうそう巡り逢えるものではありません。少なくとも、普通に生きていても絶対に無いでしょう。

私は@SOHOを立ち上げ、@SOHOそのものの知名度が上がっていっても私個人への問い合わせといったことは一切ありませんでした。私は情報発信をスタートして共感して下さる方が増えるにつれ、『いずれは出版してみたい』という気持ちが強くなりました。テーマは海外ノマドについてでした。そしてその意思を発信してみたところ、私の情報をフォローして下さっている方の中に、出版社の編集者の方がいらっしゃったのです。しかも1名だけではなく複数名です。最初に私に声をかけて頂いた方は、企画書を作成して頂き社内会議でプレゼンして頂いたようですが、残念ながら社内稟議が下りませんでした。それでも私はその目標を諦めずに持ち続けていたところ、別のフリーランスの編集者の方から声がかかり、その方と一緒に企画書を作成し出版社回りをしました。

当初はやはり海外ノマドをテーマにした書籍の企画でしたが、『ノマド』という言葉自体が出版業界では既にブームを過ぎていて、そのためにどの出版社も企画が通りにくくなっているとのことでした。
そんな時、私が書いていた『スーパーエンジニア養成講座』というITエンジニアエンジニア向けのメールマガジンを出版社の担当者の方にお伝えしてみたところ、『これは面白い!』という感想を頂いて、ITエンジニアの人生設計をテーマにした本を出版することが決まったのです。

通常、出版をしようと思ったら

1)出版社から声がかかる
2)フリーの編集者から声がかかる
3)出版コンサルタントにお願いして手伝ってもらう
4)自分で企画書を作って売り込む
5)自費出版する

のいずれかのパターンになるようですが、1)もしくは2)が最も美味しいのです。なぜなら著者はタダでで出版できるからです。3)は100万円〜300万円といった高額なコンサル費用を払う必要がありますし、4)の方法はいつ出版が実現できるか見通しが立ちませんし、5)は必ず出版できますが商業出版と違って箔が付きません。

つまり私が情報発信をしていなければ出版社や編集者の目に留まることはなく、3)〜5)のいずれかの手段をとらなければ、ほぼ出版は実現できなかったということになります。正式に商業出版が決まれば、出版社が予算をかけて書籍を制作してくれますし、無料で書店にも置けることになるので、セルフブランディングの効果は絶大といえるでしょう。

さらに面白いことに、私に声をかけて下さったフリーの編集者の方は、私のメールマガジンに出会い、3年ぐらい読み続けているうちに独立心を掻き立てられ、ついに独立してしまった、というストーリーがありました。つまり私が情報発信をしていなければ、この編集者の方もまだ独立されていなかったかもしれないのです。

その26)家族で海外移住が実現できた

2018年の10月に、「世界で最も住みやすい都市No.1」に7年連続(2011年〜2018年)選ばれたオーストラリアのメルボルンにて、家族で移住をすることができました。

8月のお盆のあたりに2週間、家族で滞在した際に即断。移住の準備として行ったことは、日本の荷物の整理と自分のソーシャルメディアでの報告のみ。

こんなにシンプルに実現できたのも、

  • 社員を雇わない
  • 会社を大きくしない
  • 無借金経営
  • 他人の資本は受け入れない
  • 在庫を持たない
  • ビジネスは基本、オンラインで完結させる

という原則を守ってきたからであり、情報発信を積極的にビジネスに取り入れていったからこそ、これが実現できたと思っています。


如何でしょうか?

情報発信をするということは、ただ単にビジネスに結びつけるということだけでなく、自分の人生により充実を感じられるようになり、自分の人生だけでなく自分の周囲の方の人生も変えられる可能性を持っているのです。

私は33歳で情報発信活動をスタートし今に至りますが、ソーシャルメディアが普及するちょうど良いタイミングで参入できたのではないかと思います。

情報発信というものは一朝一夕に結果を出せるものではなく、地道な活動を継続していく必要があるので、スタートが早ければ早いほど良いです。資産運用の世界でいうところの『長期投資』のようなものです。

なるべく早くスタートして、地道に積み上げていくことで、自分さえ活動を止めなければ複利的な効果が得られ、自分の人生に『右肩上がりの幸福感』を味わうことができるのです。

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