男は「成功したい」という気持ちが先走っていた。
東京の渋谷では「ビットバレー」
というコミュニティーが立ち上がり、
そこに集まる若手経営者達の合言葉は、
だった。
後々、時代の寵児となる
ホリエモンことオン・ザ・エッヂの堀江貴文氏や、
サイバーエージェントの藤田晋氏などが、
毎回のように紙面に取り上げられていた。
福岡に住んでいた男はそんな様子を、
ネットや雑誌の記事でしか見ることができず。
熱気を感じながらも、
自分が何をすれば良いのか、
全くわかっていなかった。
そもそも、男はITのスキルすら、
持ち合わせていない。
雑誌『アントレ』を毎月購入し、
そこに掲載されている
新進気鋭の経営者達の
インタビュー記事を読んでは、
あれもいい、これもいいなどと
期待に胸を含まらせていた。
アントレで紹介されていたのは、
ビデオショップからたこ焼きやさんまで、
ありとあらゆるビジネス。
18年間片田舎の宮崎で生まれ育ち、
大学時代も福岡で貧乏生活を送っていた
男にとって、
『社会』は未知の世界。
と興味津々だった。
『一度も雇われなかった男ー。』
この響きに憧れ、
その称号を手にしたかった男。
もう大学は卒業してしまったため、
『学生起業家』の称号は
手に入れることができない。
男はある日、ある説明会の情報を入手した。
『インターネット業界で未経験でも
ゼロから起業できるチャンス!』
という触れ込みに飛びついた。
早速、説明会に参加。
説明会の主催はN◯◯という設立数年の
非常に若い会社だった。
会場には20名ほどの社会人が参加していた。
当然、22歳の男よりも皆歳上。
中には主婦らしい女性もいた。
少し小太りのにこやかな営業マンらしき男が、
手際よく事業内容を説明する。
当時(1999年)、Yahoo!を筆頭に、
Goo、Excite、infoseekなどの
大手ポータルサイトがにぎわう一方で、
小規模ながらも専門分野に特化した
「特化型ポータルサイト」
というものが乱立していた。
まさに、「ポータルサイト戦国時代」だった。
N◯◯社の営業マンは説明した。
現在、月間1,000万ページビューの
アクセスがあります。皆さんがやることは、
うちのポータルサイトに掲載する広告を
取ってきていただくことです。なんと、報酬は広告を取った時だけでなく、
顧客が広告を掲載し続けている以上は、
継続的に一定の手数料を
取ることができるという、
まさに画期的なシステムなのです!
男は確かに画期的だと思った。
大学時代にネットワークビジネスについて
人生で初めて知り、説明会に参加していた時。
ネットワークビジネスの成功者達は
口を揃えて言った。
このビジネスは年齢や能力は関係ありません。
やるかやらないかだけです。
一般的なビジネスでは成功すれば
お金は入ってきますが、
必ずしも時間のゆとりが
あるわけではありません。
このビジネスで結果を出せば、
時間とお金だけでなく、
仲間も手に入ります。
こんなビジネスは
これ以外にはありません!
この言葉を聞いた時、
男の脳裏に衝撃が走った。
本当は時間の余裕もある事業家は当時も
沢山いたのだろうが、
ビジネスの知識・経験が殆ど無かった
男にとっては、お金と時間の両方を
手に入れられるビジネスは、
これしか無いように思えた。
また、「金持ち父さん貧乏父さん」の本が
日本に上陸する前であり、
「ビジネスオーナー」的な考え方が
浸透しておらず、
まだまだ日本人はあくせく働いている
イメージが強かった。
一度はネットワークビジネスで
身を立てると決意し、
就職の内定も断ってしまった。
その後、お世話になった
大人の方々に引き止められ、
大学卒業間際にネットワークビジネスを
やることを断念した。
結果、卒業後は世間的に見ればプータロー。
そんな男にとって、
ネットワークビジネス以外で
権利収入が取れる話は、
とても興味深いものであった。
この代理店ビジネスの権利を
獲得するためには、
約90万円の「加盟金」が必要であった。
この90万円を支払うことで、
営業用のノートPCが付与され、
また本部から継続的なサポートを
受けることができる、
という説明だった。
貧乏学生生活を送り、
大学を卒業したばかりの男には、
当然ながらそんな貯金は無い。
ただ、分割払いができるという。
5年間の「ビジネスローン」というやつだ。
分割払いの場合、
1ヶ月2万円ずつ払っていけば、
5年で120万円。
利子分は高くなってしまうが、
営業マン曰く、
2万円は支払えますよね?
皆さん、1ヶ月頑張って
1件も取れないということは
ありえませんよね〜?
今思えばこれはなかなか上手い
営業トークだった。
本来、この仕事1本で
食べていこうと思ったら、
月間何件も契約を取らないと
いけないのだが、
元を取れるかどうかという
観点で見れば、
確かに月1本契約が取れれば良い。
男が学生時代に数多くこなした
アルバイトの中で、
新聞の広告欄を売るというものがあった。
名刺1枚サイズぐらいのスペースが4万円。
電話帳を使ってひたすら電話をかけまくり、
予め決められたトーク内容で説明する。
無言で電話を切られたり、
時たま罵声を浴びることもあったが、
根気よく続ければ、
50件に2件ほどは成約することができた。
その経験があったので、
このポータルサイトの広告代理店ビジネスも、
絶対にうまくいくという自信があった。
また、この代理店は全国で
募集しているものの、
地域毎に定員が限られていて、
定員になり次第締め切るということだったので、
男はその場で契約することにした。
これも今振り返ってみれば、
本当に定員で締め切っているかどうか
わからないし、
体の良い営業トークだった。
このような駆け引きをしてくる業者に、
ロクなところは無いということを、
男は後で知ることになる。
男は翌日から営業を開始。
新聞広告のバイトの時のように、
家の中にあった電話帳を引きずり出してきて、
近場から電話をかけていった。
最初にアポが取れたのは、
「海の中道」という
美しい海岸線の近くにある、
サーフショップだった。
まだ本格的にシーズンが始まる前だったため、
営業時間中にアポを取ることができた。
10時に店に着くと、
店長らしいロン毛の男性が応対してくれた。
男はまだ慣れない覚えたての営業トークを使って、
ひととおり説明した。
数多くのホームページを電話帳のように整理して並べたWebサイト。
当時はまだ検索エンジンの技術が発達していなかったことから、人力でホームページを調べ上げ、整理して陳列するという方法が取られた。良質なホームページの情報が数多く集まったWebサイトは重宝され、人々がブックマークし、ホームページを探す時にまず最初に訪問したことから、入り口(=英語で「portal」)となるWebサイトということで、「ポータルサイト」と呼ばれるようになった。