20代起業家からの質問!どうやってゼロイチを達成したのか?

最終更新日時 2022/02/23 21:02

起業して成功した人には憧れるものですが、起業を志している段階の人には「ゼロイチ」が気になるところですよね。この点について20代の起業家の方からインタビューを受けたので回答しました。

Q.簡単に自己紹介をして下さい。

今オーストラリアのメルボルンに来てまして、ちょうど4年目になります。

ビジネスとしては@SOHOというビジネスマッチングのWEBサイトを2004年から運営しています。

また、ITが専門なのでビジネスのオンライン化をしたい方々のお手伝いもしています。

目標としては今@SOHOが約30万人の方に利用頂いていますので、

もっともっと増やしてあとは英語圏に拡張して世界で利用というよりは、日本の方が世界で活躍できるような土台を作っていきたと思っています。

Q.平城さんは20代で起業されていますが、どのようなきっかけだったのですか?

僕のゼロイチは大学時代に遡るんですけど、ちょうど就職氷河期の1998年卒業なんです。

自分が行きたい会社に全部落ちちゃったんですよ。

それでどうしようかなと。

2社だけ受かりましたが、あんまり行きたい気がしないなと思って。

就職活動終わってひと段落した時に、友達からネットワークビジネスのことを初めて聞いたんですよね。

人生で初めてそんなものがあるんだって聞いて、それで話を聞きに行ってみたら、若い人でも2、3年頑張れば結果出すこともできて、億万長者になれるという話で、凄いなと思ってそれでその気になってこれだったらもう会社勤めしなくていいと思って、内定を断ったんです。

就職をしないということは、親がせっかく大学まで行かせてくれたのにそれを台無しにするわけなので、親にも手紙を書いて、「なぜ自分がネットワークビジネスをやろうと思っているのか?」のような文章を構成して説得しました。

母は「あんたは言い出したら聞かないから、何を言っても無駄だね」

父は「おお、そうか、ぜひチャレンジしてみたらいいよ!」

という反応でした。

ただ、大学卒業する直前になって、当時お世話になっていた社会人の方々から、

「ネットワークビジネスはそのものは悪くないと思うけれど、平城君にはやって欲しくない」

と引き止められました。

実は当時、学生が無理に沢山の在庫を抱えて支払いができなくなってそれで自己破産といった事件が多発していて、結構社会問題になっていたようです。

信頼している方々からの意見だったので、「これは素直に聞き入れておいたほうが良いのかも」と重い、そこで思いとどまることにしました。

そして大学を卒業した時点では無職、プータローだったわけです。

就職する気も無かったので、じゃあ何にしようかな、と思っていました。

当時はITも未経験でしたし、パソコンも持ってない、貯金も10万ぐらいしかありませんでした。

自分に何のビジネスができるのか必死に考えた結果、当時の自分が社会に売れるスキルは 何かなと思ったら受験勉強ぐらいしかなかったんです。

そこで塾の経営も検討したのですが、塾は場所を借りないといけないし、場所を借りるためには敷金などが必要で、つまりは元手が要るわけです。

また、当時福岡で人気の塾があって、そこが一人勝ちのような感じだったので、

「ここに勝つのは難しいな」

と思って断念しました。

それからいろいろビジネスのネタを探していると、当時Yahoo!やGooといった大手のポータルサイトが凄く流行っていたのですが、大手だけじゃなくて特定の業種に特化したような小規模なところもぽつぽつあったんです。

そこの広告枠を売るビジネスがあることを知って、説明会に行きました。

いわゆる代理店ビジネスですね。

僕が営業をして広告を取ると、広告が掲載されている間は継続的に手数料が入ってくるというビジネスモデルでした。

広告が掲載されている間は安定収入になるので、「あこれはいいな」と思いました。

当時はアフィリエイトのようなビジネスモデルもまだありませんでしたし、安定収入が得られるビジネスは珍しかったんです。

家もそんなに裕福じゃなかったので、あと大学時代には自分で沢山のアルバイトをしていて、その1つに新聞の広告枠を売る仕事ありました。

名刺サイズの広告枠を3万円ぐらいで売っていたのですが、50件電話したら2、3件成約していたので、根性で頑張れば一定の成果が出せるという確信があったんです。

「これだったら 自分でテレアポすれば楽勝じゃん! 」

と、その代理店ビジネスを即決して、申し込んでやってみました。

代理店ビジネスなので、参加費用は無料ではなく、加盟料として80万円かかりました。

当然ながら80万円も持っていませんので、ビジネスローンを組むことになりました。

オリックスと契約をして5年間分割で払うわけです。
支払いは月に2〜3万ぐらいです。

月に2件でも成約すればこれは支払える計算でしたので、僕はもう「やるぞ!」と即契約してやってみました。

自宅に戻って電話帳片手に実際にテレアポして、無事にアポが取れて営業しに行って、最初に行ったのが福岡の海の中道の近くにあるサーフショップでした。

結構いい感じの話ができたのですが、成約には至らず、幾つか要望を頂いたのでそれを本部に持ち帰って相談してみました。

「こんなことできますか?」

と聞いてみたところ、なんかちょっと動きが悪かったんです。

そこで疑問に思ったこととして、人の商品を売ると、大元がしっかりしてないとお客さんに迷惑がかかる、だから信用できない商品は売れない、と思ってしまったんです。

するとモチベーションががくっと落ちてしまったんです。

結果的に1か月でこのビジネスから撤退することになります。

本部にクーリングオフも相談してみましたが冷たい塩対応で断られました。

手元にはローンを含め120万円の借金と、代理店契約の時に営業ツール用として受け取ったノートパソコン1台だけが残りました。

120万はちょっと痛いと想いましたが、当時はまだまだ結構パソコンが高くて、調べてみたら同じようなスペックのパソコンが30〜40万ぐらいしたんです。

だから僕は、

「このパソコンを120万で買ったんだと思えばいいや😂」

と泣く泣く自己納得して次のステップに進むことにしました。

それからいろいろと試行錯誤しましたが、やっぱり何もできなかったんですね。

その間の生活費はアルバイトでしのいでいました。

当時憧れていた居酒屋の和民の創業者の渡辺美樹さんに習って引っ越しのサカイで働いてみたり、当時福岡で発生した洪水の後片付けの作業をやってみたりしましたが、肉体労働は性に合わないと実感し、どちらも1日で辞めてしまいました。

最後の頼みの綱は学生時代からやっていた家庭教師のアルバイトで、直接契約で月に10万ぐらい稼いでいましたが、家庭教師も労働集約型で、基本的にはマンツーマンなのでこれを一生やっていくのは難しいと思っていました。

半年経って貯金も10万円切ってきたので、「このままではいけない」とようやく現実と向き合うようになりました。

夢ばっかりは大きい。でも当時の僕は地に足が付いてない。

夢は語るけれども何かやっているのかといえば何もやっていない。

孫正義さんのような有名な起業家の本ばかり読んでいましたが、何も行動していない。

僕の中ではこの時のことを

「人生のモラトリアム」

と読んでいます。

生活リズムも滅茶苦茶で、お昼ぐらいに起きて本を読んだりとか、ああだこうだと考えたりダラダラ過ごす日々でした。

さすがにこれじゃまずい、もう腐ってしまうなと思いおとなしく就職することに決めました。

というのも、当時福岡でとある起業家コミュニティーの座談会にちょくちょく参加をしていました。

そこで自分の夢を語って、

「どうしたら起業できるのか?」

相談をしていたんです。

そこで当時30歳の若社長(当時は30歳の社長でもかなり若いほうだった)から、

「そんなこと言っても、
 君はまだ何も持っていないじゃないか。
 それだったらおとなしく就職をして、
 最短で辞められるように
 死にもの狂いでやったほうがいいよ。」

とアドバイスを頂いたからでした。

(確かに、そうだな。)

と思い、半年後にまた就職活動をしたのです。

幸い、一応九州ではNo.1の大学の工学部だったので、第二新卒であればIT系の会社であれば受け入れ先はそこそこあったんです。

当時、自分の中ではITエンジニアって地味でかっこ悪いと思っていました。

今ではITは花形というイメージですが、当時は

IT=オタク

という感じで、人気もあまり無かったんです。

また、僕は大学までずっとスポーツをやっていて体育会系だったので、1日中室内にいてパソコンのキーボードをパチパチたたくなんて絶対に性に合わないと思っていました。

それよりも商社マンのように、世界を飛び回って億単位のお金を動かすような仕事に憧れていました。

でもとりあえず手に職にはなるし、身につけておいて損は無いかと思ったのと、起業資金を貯めるために、

  • インターネット関連の仕事ができる
  • 残業代が100%出る

という基準で絞り込み、富士通の下請けをやっていた独立系のIT企業に入社することになりました。

でも実際に会社に入ってみると、意外と自分に合っているかもしれないと思うようになりました。

特に、プログラミングが面白いと思えるようになったのです。

IT全般の仕事でいえば「知っているか知らないか」で大きな差がついて、経験の浅い自分が10年選手、20年選手には絶対にかないっこない。

でも、プログラミングであれば、自分の創造力によって誰も作ったことがないサービスを作れば、上に行ける可能性がある。

そんな可能性を感じたのです。

ただ、会社ではプログラミングの仕事はもらえず、最初に任された仕事はひたすらWindowsをPCにインストールするだけの作業。

だから書店に行って片っ端からプログラミング本を買い漁って、独学でプログラミングを学んでいったのです。

僕がその会社に来るまで、大卒の社員は1人もいなくて、皆高卒や専門学校卒で入社した叩き上げの人達ばかりでした。

また、社員の人達のモチベーションが低く、社内は常にドヨーンと暗い雰囲気で、僕だけが毎日元気に「オハヨウゴザイマス!」と会社に入っていっていたので、とても浮いていたと思います。

でも会社には染まりたく無かったので、お昼は独りでビルの屋上に行って独りでご飯を食べたり、最短で会社辞めたいと思っているので、会社の飲み会があっても極力参加せず、忙しいふりをして会社の中で仕事をしていました。
(幸い、下請けだったので仕事は沢山ありました。)

僕が仕事で成果を出すと上司からは褒めてもらえたのですが、僕は内心最短で辞めるつもりだったので、

「平城君、うちの会社を頼むよ!」

みたいなことを言われると、相手を裏切っているようで複雑な気持ちになりました。

いわゆる「仮面浪人」ではなく「仮面サラリーマン」ですね。

そしてコツコツとプログラミングを覚えて、毎晩ネットサーフィンをしていると、ネット上に「お仕事掲示板」というWEBサイトがあることを知りました。

そこではまずお仕事を依頼したい人が掲示板に書き込み、それができるという人が応募して、マッチングをするという場でした。

そこで夜な夜な自分ができそうなプログラミングの仕事に応募していって、そしたらポツポツと仕事が取れて、付き数万円というまあまあの副収入になっていきました。

そしてある日、お仕事掲示板である人と出会いがありました。

その人は当時ネットショップをやっていて、ネットショップのレンタルシステム(今のShopifyとかBASEみたいなサービス)を使っていました。

その人は当時、大手のレンタルサービスを利用していて、それが月額2万円と結構高く、逆に無料や安価なシステムは機能が乏しく使い物にならない、という時代でした。

その人が

「平城さん作れますか?」

と言うので、

(作れそうだな。)

と思って

3ヶ月ぐらいかけて実際作ってみたんです。

そしてサービスをリリースして、

それが1年でお客様が200社ぐらいできて、月60万ぐらいの収入になりました。

コストはサーバ代の数万円だけだったので、ほぼ利益です。

それを2人で均等に分配していました。

会社の月給は超えていましたし、その会社で覚えられる技術はほぼやり尽くした感があったので、入社して1年半で辞めることになりました。

これが最初のゼロイチでした。

ビジネスパートナーの裏切り

ただその後また谷底があって、僕がやっぱり若くて全然ビジネスのことがわかっていなかったのが原因だったのですが、

  • サーバの契約
  • サービスの運営者名
  • 顧客からの入金先口座

が全部相手の名義だったのです。

僕がまだサラリーマンで大々的にビジネスができなかったということもあって、僕がシステムを100%作っていましたが、全て相手の名義で運営していました。

ある時、別なことで意見が合わないことがあって、その数日後に、相手からいきなり

「もう来月からやめて下さい!」

というメールが来て、サーバのログイン情報などを書き換えられてしまい、ビジネスから締め出されてしまいました。

当時はもう会社を辞め、上京してフリーランスのプログラマとして活動をしていたのですが、

今まで安定収入があったのが翌月からいきなりゼロになるわけで、あの時は本当にどん底でしたね。

またお仕事掲示板でゼロから仕事を探すことになりました。

当時の仕事の受注額っていうのが大体1万円から高くても十数万円ぐらいだったのですが、すると目の前の仕事をこなしながら次の仕事も探さないといけません。

本当に2〜3か月先ぐらいの生活の目処しかたっていないので、自転車操業みたいでとても苦しかったんです。

あとはずっと自分の家で1日中プログラミングをしているだけなんで、誰とも会わないんですよね。

ある時、気がついたらまる1ヶ月誰とも口をきいていなくて、久しぶりに 外に出て友達と会ったら言葉が出てこなかったんです。

頭の中には言葉が思い浮かんでいるのでうが、思ったように口に出てこないんです。

(さすがにこれはやばい😰)と思って

やっぱり人と会う場所に行かないといけないと思って、しぶしぶ派遣社員をやることにしました。

派遣社員だったら半年から1年という単位での契約なので、最低半年〜1年の収入は目処が立ちます。

そこで派遣で半年ぐらいやったんです。

でその時にその派遣の行き先でお世話になった方がいて、
その方から、

「君みたいな若いエンジニアはこんなとこじゃなくてもっとちゃんと大企業に1回は勤めてそこで経験を積んだ方がいいよ!」

言われたんですね。

確かに僕自身も経験不足だなと感じてはいました。

規模の小さい仕事はできるけれど、例えば100万円以上とか100万〜200万みたいな仕事っていうのは受注したいと思っても当時の僕には勇気がなかったんです。

フリーランス時代に一度、大きな仕事をもらえるチャンスがありました。

HONDAが運営している「もてぎサーキット」のWEBサイトのホテルの予約システムがあって、それをやってくれないかという相談を受けたのです。

(さすがにちょっとこれはできるか、自信がないな。。)

と思ってしまい、辞退して知人の社長が運営しているWEB制作会社を紹介してそれで終わったんです。

そんなこともあり、僕の中でまだまだスケールが足りないなと思っていたこともあり、

(じゃもう1回だけサラリーマンをやろう。そして30歳までに絶対辞めよう。)

と決意をしました。

  • 大企業のシステムに携われる
  • 経営に近いシステムに携われる

という条件を満たすのはITコンサルの会社しかなかったので、ITコンサルに絞って転職活動をしました。

当時は25歳で、転職エージェントにも多数登録しましたが、

第二新卒で入社

1年半で退社

フリーランス

派遣社員

というちぐはぐな経歴だったので、転職エージェントから見ても「結構厳しいですね」と言われていました。

するとアクセンチュアというITコンサル大手の会社がたまたまエンジニアを大量募集していて、とんとん拍子で採用が決まったので、そこでやってみることにしました。

そこで3年間働くことになります。

入ったはいいものの、この会社は滅茶苦茶ハードで、
今みたいな「ブラック企業」という言葉も当時は無くて

  • 基本終電
  • 週に3日はタクシー帰り

という生活でした。

社員の殆どが体の不調を訴えるみたいな環境でしたが、
僕は体力だけは人一倍あり、体も丈夫だったので1人だけぴんぴんしていました。

最初の1年は会社に慣れるだけで精一杯で、副業は何もできませんでしたが、1年通ったら会社にだんだん慣れてきて、心理的な余裕も出てきたので、かねてから構想していた@SOHOを立ち上げることにしました。

本当に平日は時間が無かったので、基本土日だけを使って開発を始めて、半年ぐらいで作りました。

その後オープンをして、今度はちゃんと株式会社も作って会社で運営して、1年で大体2万人ぐらいの会員規模になりました。

それで収入的にも広告収入が月20万円ぐらい入ってきていて、当時独身だったので生活費を削れば20万以内生活できますし、あと貯金もしていて800万円ぐらい貯まっていたので、これだったらよっぽど変なお金の使い方をしなければ飢え死にはしないかなと思い、予定通り29歳の4月いっぱいで会社を辞めて2度目の独立をしました。

ちょっと長いゼロイチですね。

でそこからはショッピングカート時代のお客様から別のお客様をご紹介頂いたりして、独立直後から仕事が沢山舞い込んできました。

そこからもうずっととんとん拍子でうまくいったという感じです。

20代はもう苦労の連続でしたが😅

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