時間と場所の自由を手に入れたいー。
強く思い焦がれていたあの日々。
宮崎県の片田舎に男3人兄弟の次男として生まれ、
18年間宮崎で過ごす。
自営業の両親のもとで育てられるも、
今思えば決して豊かな生活ではなかった。
高校までは普通に学校に行き、
普通に勉学に励み、
普通に部活をやり、
普通に大学受験をし、
将来やりたいことも特に具体的に
決まっていたわけではない。
ただ、「成功したい」という気持ちだけは、
人一倍強かったように思う。
大学で親元を離れたことによって、
自分の行動を全て自分で決められるようになり、
少しずつ人と違う生き方をするようになっていった。
どちらかと言えばもともと異端児だったと思うけれど、
その異端児ぶりが発揮されるようになったのは
就職活動のあたりだろうか?
所属していた大学は工学部の機械系学科。
同僚の多くは大学院進学するか、
メーカーに大学推薦で就職。
男は大企業の歯車としての研究者になるのは
死んでも嫌だったし、
1日でも早くビジネスをやってみたかったので
大学院に進学する選択もまず無い。
自力で就職活動をすることになった。
OBのコネもなし、
他の就活生との横のつながりもなし、
業界研究もほとんどできていなかったので、
結果は燦々たるものだった。
ビジネスがやりたかったので、
第一希望は商社にした。
当時の5大商社を受けるも全滅。
時は大就職氷河期の1998年だったとはいえ、
結果的にたった2社しか内定を得ることができず、
どちらにもあまり行く気がしなかった。
その後は、
内定を辞退
↓
最初から自分でビジネスをやろうとする
↓
ネット広告の代理店ビジネスに手を出すも、
1ヶ月で撤退
↓
半年間何もできなかったので、
おとなしく第2新卒でIT企業に就職
という流れだった。
つまり、IT企業に就職したのは
消去法だったし仕方なくだったのだ。
あれから約20年後ー。
当時は想像もできない場所で、
想像もできないライフスタイルを
送ることができている。
大学を出た時の所持金は10万円、
文字どおり、
カネなし、コネなし、スキルなし、
の状態から、どのような経緯で
今のような状況を手に入れることが
できるようになったのか?
家族と一緒に世界のどこでも
生活できるようになったのか?
これを、少しずつお伝えしていきたい。
なお、この話は、
男のこれまでの経験をもとにしているけれど、
もう過去の話で再現性が無いような内容は省き、
現在でも通用するようなノウハウや
考え方をお伝えするようにしている。
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メルボルンの自宅より