完全なる自由への道

3月 23, 2020

時間と場所の自由を手に入れたいー。

強く思い焦がれていたあの日々。

宮崎県の片田舎に男3人兄弟の次男として生まれ、
18年間宮崎で過ごす。

自営業の両親のもとで育てられるも、
今思えば決して豊かな生活ではなかった。

高校までは普通に学校に行き、
普通に勉学に励み、
普通に部活をやり、
普通に大学受験をし、
将来やりたいことも特に具体的に
決まっていたわけではない。

ただ、「成功したい」という気持ちだけは、
人一倍強かったように思う。

大学で親元を離れたことによって、
自分の行動を全て自分で決められるようになり、
少しずつ人と違う生き方をするようになっていった。

どちらかと言えばもともと異端児だったと思うけれど、
その異端児ぶりが発揮されるようになったのは
就職活動のあたりだろうか?

所属していた大学は工学部の機械系学科。
同僚の多くは大学院進学するか、
メーカーに大学推薦で就職。

男は大企業の歯車としての研究者になるのは
死んでも嫌だったし、
1日でも早くビジネスをやってみたかったので
大学院に進学する選択もまず無い。

自力で就職活動をすることになった。
OBのコネもなし、
他の就活生との横のつながりもなし、
業界研究もほとんどできていなかったので、
結果は燦々たるものだった。

ビジネスがやりたかったので、
第一希望は商社にした。
当時の5大商社を受けるも全滅。

時は大就職氷河期の1998年だったとはいえ、
結果的にたった2社しか内定を得ることができず、
どちらにもあまり行く気がしなかった。

その後は、

内定を辞退

最初から自分でビジネスをやろうとする

ネット広告の代理店ビジネスに手を出すも、
1ヶ月で撤退

半年間何もできなかったので、
おとなしく第2新卒でIT企業に就職

という流れだった。

つまり、IT企業に就職したのは
消去法だったし仕方なくだったのだ。

あれから約20年後ー。

当時は想像もできない場所で、
想像もできないライフスタイルを
送ることができている。

大学を出た時の所持金は10万円、
文字どおり、
カネなし、コネなし、スキルなし、

の状態から、どのような経緯で
今のような状況を手に入れることが
できるようになったのか?

家族と一緒に世界のどこでも
生活できるようになったのか?

これを、少しずつお伝えしていきたい。

なお、この話は、
男のこれまでの経験をもとにしているけれど、
もう過去の話で再現性が無いような内容は省き、
現在でも通用するようなノウハウや
考え方をお伝えするようにしている。

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メルボルンの自宅より

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