情報発信ビジネスをしている多くの方が困っていることが「集客」。もちろんこれは大事ですが、1番大事というわけでもありません。集客ばかりに注力してしまうと、「一生集客し続けなければならない」状態になってしまいます。そんな状況になっている方に読んで欲しい記事です。
情報発信ビジネスを実践している人達を見ていると、やたらと集客、集客という言葉を使っていますね。
少し前はFacebookの集客ノウハウが流行っていて、最近はInstagram、twitter、YouTubeによる集客ノウハウが流行っています。
こうなってしまっているのは、
集客=ビジネス
と勘違いしている人が多いからではないでしょうか?
私は2000年からネットビジネスを手がけ、2010年から情報発信ビジネスを継続してきましたが、この経験から言えることは、集客なんて最後に考えれば良いことです。
まずは自分が提供できるサービスをきちんと定義し、
(商品設計)
これをどのような形式で販売するのかを設計し、
(販売戦略)
これらが固まったうえで、集客は最後に考えれば良いのです。
その理由はリアルなビジネスに置き換えて考えるとわかりやすいのですが、商品設計が固まっていない状態で集客を開始するということは、あなたが定食屋さんをやるとして、メニューが決まっていないのに、店の外に出て客引きをするようなものなんですね。
せっかく客が来ても、メニューが無ければ客も注文しようがありません。
次に、商品設計が固まったとして、販売戦略が固まっていない状態で集客を開始するということは、単品のメニューはそこそこ売れたとしても、ずっとそれを売り続けなければならない、ということになります。
つまり、自転車操業ということになります。
しっかりと販売戦略が固まっていれば、セットメニューにして顧客単価を上げたり、スタンプカードを作ってリピート率を上げたりなどして、売上を加速させることができます。
集客した『後』の流れがスムーズに行かないと、いくら集客しても無駄な部分が大きく、とてももったいないと思いますね。
まるで穴の空いたザルでどじょうをすくいに行くようなものです。
さらに、商品設計や販売戦略がしっかりとできていれば成約率は上がるので、実はあまり集客のことを意識しなくても、ビジネスは回るようになります。
仕事を獲得するために『営業』する必要は無かった
私が2006年にITエンジニアとして独立起業してから2010年までの3年間、実は一度も『営業』という活動をしたことはありませんでした。
一般的に『10年後の生存率は5%以下』と言われている独立起業後の世界において、一切営業をする必要が無かったというのはどういう事なのでしょうか?
そして私の場合、情報発信ビジネスにおける営業行為にあたる『集客』という活動も殆どしたことがありません。
前半の解説で『集客』よりも『商品設計』『販売戦略』のほうが重要、と説明した理由は、ここがしっかりしていれば、自分で集客しなくても、人から紹介をしてもらうこともできるし、広告を使って集めることもできるからです。
『商品設計』『販売戦略』がしっかりしていないと、いくら広告費に資金を投じても、回収すらできないということになります。
では、私はどのようにして、人を集めることができたのか?
情報発信ビジネスにもやはり、『見込み顧客リスト』が必要となります。
広告が必須と言われているこの業界において、私は広告を殆ど使わず、複数のメルマガで合計10万人という読者リストを集めることができました。
時々、『口コミで自然と集まった』と書いているメルマガ発行者がいますが、口コミだけで万単位の読者が集まるなど、あり得ないことなので、この言葉を鵜呑みにしないほうが良いです。
殆どの場合は広告で集めているだけです。
今やYouTubeの再生回数でさえ広告で買えてしまうんですよね。だから一概に再生回数も信用してはいけません。
広告で再生回数を増量させ、それで『100万再生達成!』のように見せかけている情報発信者もいますからね。
それでは、私の場合はどうやって広告を使わずに、10万人という読者を集めることができたのか?
その答えは、こちらにあります。
ヒントは、『人が集まる仕組み』を作れるかどうか。
最初は、口コミで1件のWEB会社を紹介されたところからはじまりました。
このWEB会社から1件の仕事をいただくことができ、しっかりと納品しました。
すると、顧客に大変満足していただくことができ、WEB会社からもっと仕事が来るようになりました。
私はその仕事を誠実にこなしていきました。
すると、WEB会社からの仕事だけで、会社員時代の年収の2倍以上の収入が発生。
その後、WEB会社は株式公開を果たすも、上場後に株価は下がり続け、他社に吸収合併されてしまいました。
そのゴタゴタの間に社内が大荒れし、WEB会社の顧客にも大変な迷惑がかかっていました。
私は立場上、WEB会社の「下請け」という位置付けでしたが、営業マンがWEBのことをあまり理解できていなかったので、その会社の名刺を持って客先に同行することが増えていました。
そしてある時、WEB会社を辞めた会社員が、顧客に「実は平城さんはうちの社員じゃないんですよ」と漏らしたそうです。
するとWEB会社の顧客のほうから、私と直接取り引きをしたいと話をもちかけられ、私は引き受けることにしました。このWEB会社に恩義は感じていたので、「顧客を横取りしてしまうのではないか?」という躊躇がありましたが、元の経営陣も既に会社を辞めていたし、私から営業をかけてきたのではなく、顧客の側から声をかけてきてくれたのと、「この顧客を助けたい」という一心でお受けすることに。
こんな会社が3社ほどあって、
独立起業後3年目には、全く営業無しで収入は会社員時代の5倍になりました。
(仕事の時間は同じぐらい)
そして2010年に情報発信ビジネスにも参入しました。
企業からのシステム開発の仕事は単価的には良いのですが、やはり労働集約型的な要素が大きかったし、場所の自由もそこまで無かったからです。
少しずつ情報発信ビジネスにシフトをしていくことで、2013年頃にはいつの間にか、時間と場所の自由を実現することができていました。