「お金がない」「時間がない」という言葉を多様している人がいますが、一方でどんなに貯金が無くても、どんなに忙しくても、「お金がない」「時間がない」と言わない人もいます。この違いはどこから来るのでしょうか?
決して裕福ではなかった子供時代
私は「全国都道府県の平均収入が常に45位以下」という宮崎県で生まれ育ち、両親は共働きで父は自営業で収入は不安定。母が3つほど仕事を掛け持ちしながら家計を支えているという環境でした。
洋服は殆ど兄のお下がりで、洋服のバリエーションは3種類程度、靴は当然1足だけ、靴下も敗れるまで履いて穴が空いたら穴が母が穴を縫って履いていました。全校集会等で正座をさせられる時、塗ったところが友達に見られるのが恥ずかしくて手で隠していました。
流行りの玩具もすぐには買ってもらえず、任天堂のファミコンを買ってもらえたのも、ブーム全盛期の小学校2年生から4年も経過した後でした。。
でも、不思議と家にお金がないとは思っていなくて、親が倹約家だからだ、玩具も親が厳しいから買ってもれえないのだと思っていました。
もちろんそれもあったと思いますが、お金に余裕が無かったのは事実だと思います。
男3人兄弟だったので大学には国立にしか行かせられないと言われていて、これも「国立のほうが私立よりも優秀だから」、早稲田や慶応は東大や京大に行けない人が行くところだ的なという刷り込みをされていました。(本当は私立のほうが学習環境が整っていて、そのためにあえて私立を選ぶ人も多いと思いますが、これは宮崎県全体がそんな雰囲気だったかもしれません。)
そんな状況だったにも関わらず、両親が「家にはお金が無い」というようなことを口にしているのを聞いたことは一切ありませんでした。
私自身も福岡の大学に進学してから生活費は育英会の奨学金とアルバイトで賄い、仕送り無しで生活していました。大学の費用も入学金と1年生の前期だけは支払いましたが残りは全て受領料免除。
貯金は常時10万円程度という、実態としては貧乏大学生でしたが「貧乏だ」というセルフイメージは持っていませんでした。
むしろ、「早く大学を卒業して社会に出て、目一杯活躍してガンガン稼いでやるぞ!」という意気揚々とした気持ちでいっぱいでした。
社会人になってからも、振り返ってみたら普通ではありえないような安月給で働いていた時期もありましたが、副業をかけもちして月400時間以上働いて結果的には同年代の会社員よりは稼いでいました。
20代から事業をやっていたので(といってもIT系限定ですが)友人と会社を立ち上げるも事業ではなく人間関係で破綻した時も、費用は私が全て捻出していたので金銭的には苦しかったと思いますが、「お金がない」と思ったことはありませんでした。
これは常に「これから稼げる」という根拠のない自信があるという点と、やはり両親の考え方が大きく影響しているように思います。
なぜ「お金がない」と思ってしまうのか?
「お金がない」を口にする人の頭の中は現在の銀行残高や毎月の支出のことでいっぱいで、あまり「より多くお金を稼ぐためにどうしたらいいか?」といったことに時間を割くようにはなっていません。
一方、銀行残高が殆ど無かったとしても「お金がない」と言わない人は、お金というものを
今自分の銀行口座にあるものだけでなく、「これから自分が稼いで銀行口座に入ってくるお金」も含めて捉えています。
つまり、「お金がない」と言う人よりも言わない人の方が、自分の手元に無いお金のことを考えられるだけ視野が広い、ということです。
視野が広ければお金を得るための様々なアイディアが思い浮かぶようになり、そこへ向けて行動もするので結果的にお金が「ある」状態となります。
また「お金がない」と言っている人ほど家計簿をつけていなかったり無駄遣いをしているものです。
「お金に嫌われる」という言葉がありますが、お金には感情はありません。お金が人を嫌うのではなく、その人がお金に無頓着になっている、ただそれだけなのです。
「お金がない」と言いながら、パチンコ通いをしていたり、外食でどんどんお金を使っている人。あなたの周りにもいませんか?
「時間がない」と言っている人もこれと同じです。自分から時間がないと思ってしまえば、無いことが前提となってしまい、「時間を捻出するための工夫」をしなくなります。
一方、どんなに忙しくても「時間がある」と思える人は、時間を捻出するために常に自分の時間の使い方を変える工夫をします。例え通勤電車の中で両手が塞がっていても、頭の中でタスクを処理していくということもできるようになります。
スタートラインが同じであっても
「ない」思考の人は現状を維持するのが精一杯であり、
「ある」思考の人は時間とともに状況がどんどん良くなっていきます。
あなたはどちらの思考が良いですか?