君はもう、うちの大学の生徒じゃないじゃないか。

9月 28, 2020

時は1999年の3月下旬。
そろそろ桜が咲こうかという頃。
男は大学の馴染みの研究室に入り、
PCで調べ物をしていた。

ちょうど大学を卒業したばかりだが、
就職先は決まっていない。

むしろ、就職をしたくなかったため、
自己流でこなしていた下手な就職活動で
かろうじて獲得した内定は2社。

その2社にも殆ど興味が持てず、
年功序列がまだ色濃く残った会社組織での
生活には夢も希望も無かった。

小学校から中学校にかけては
勉強・スポーツともに精を出し、
中学校では成績学年No.1を取ったこともあり、
男子バレー部主将、生徒会長も努めた。

だが将来の夢に関しては情報が乏しく、
大学進学は偏差値と担任の提言によって
九州大学の工学部に入学。

入学したはいいものの、
『研究者』になるための
座学や実験に明け暮れる日々には、
拒否反応を示すことに。。

男ははじめて、
自分が『敷かれたレール』に沿って
生きていただけだと実感した。

大学を中退することも考えたが、
家庭の事情により
授業料免除をしてもらっていたこともあり、
親の手前、卒業証書だけは取ろうと考えた。

『その代わり、社会に出る時は
自分がやりたいことを仕事にしよう。』と。

大学の勉強は浪人しない程度にとどめ、
アルバイトや趣味に明け暮れることに。

その1:
当時『トレンディードラマ』で大人気だった
唐沢寿明の自著『ふたり』に感銘を受け、
俳優になるためのオーディションを受け、
『訓練生』扱いで合格し、
半年間トレーニングを受ける。

その2:
『THE YELLOW MONKEY』吉井和哉に憧れ、
友人からアコースティックギターを習い、
2ヶ月で夜の街中洲で弾き語りデビュー。
当時の福岡は弾き語りブームで、
5mおきに弾き語り手が並ぶほどの盛況ぶり。
ただ、イエモンのカバーをしている歌い手は
かなりレアだった。

その3:
『猿岩石』の影響を受け、
福岡から大阪まで友人2人でヒッチハイクを敢行。

その4:
レストランのホール、調理場、
携帯の販売、新聞の広告枠のテレアポ、
イベントの案内係、引っ越しスタッフ、
ナイトクラブの厨房、家庭教師など、
数々のアルバイトにチャレンジ。

男の父親は自営業で、
家には父親が書いた『独歩』
という掛け軸が飾ってあり、
男もいつかは自分の城を持つのかな?
と漠然と考えていた。

けれども社会についてはほぼゼロ
といっていいほど、知らないことばかり。

宮崎という九州の片田舎で
18年生まれ育った中で接してきた大人たちは、
自分の親か友達の親か学校の先生ぐらいのもの。

父親は30歳で脱サラして自営業となったので、
会社に通う父の姿も見たことがない。

つまり『社会人』という存在について、
殆どといっていいほど
知識を持ち合わせていなかったのだ。

男は一度は会社に就職し、
社会勉強をしてから独立をするのが良い、
と考えていた。

同じ工学部の同僚の進路は、
大学院に進学・・・7割
大学推薦枠でメーカーに就職・・・2割
公務員になる・・・1割

といった割合で、
大学推薦枠を使わず、
自力で就職活動をしていたのは
200名の学部生のうち、
この男たった1人だけだった。

バカ正直過ぎた男には、
お世辞や建前といった言動は皆無。

会社の面接の案内に
『ラフな服装で』と書いてあったので、
当時お気に入りだったレインボーカラーの
Tシャツとブルージーンズで参加。

女性の面接官から終始冷ややかな目で見られながら
面接は終了、その時点で落選。

それでも男は
『この女性、感じ悪いな〜。
僕と相性が悪いから落とされたのかな?』

と思っていただけで、

まさか『ラフな服装で』という表現が
社会人としての一般常識を試すためのものだったと
気づいたのはもう何年も後のことだった。

それ以外にも、

面接官A:
『あなたは将来何がやりたいですか?』

男:
『はい、将来的には独立して、
自分で会社をやりたいです。』

面接官A:
『そうですか、
それはいつぐらいを考えていますか?』

男:
『はい、早ければ早いほどいいと思っています。』

面接官A:
(苦笑)

このような感じだったので、
第1希望だった五大商社は全滅。

IT系の会社から2社内定を獲得し、
男の就職活動は終わった。

その後、男は同級生から『ニュースキン』という
ネットワークビジネスのことを教えてもらう。

宮崎という九州の片田舎で
18年生まれ育った男にとっては、
生まれて初めて聞く言葉であり、
このビジネスで成功をすると
お金、時間、仲間という3つのものが手に入るという
謳い文句にいたく感心し、
年齢に関わらず頑張れば頑張っただけ
結果もついてくるというシステムに共感し、

『若いうちに成功を収めるのであれば、
これしかない。』

と確信し、内定をもらっていた2社に電話をし、
内定を辞退することにしたのだった。

これに際して、両親には大学に行かせてもらった手前、
『僕はなぜ内定を辞退するのか?』
というテーマで手紙を書いて説明。

ニュースキンは学生はビジネスをしてはいけない、
というルールになっていたので、
学生時代は準備期間として
セミナーやカンファレンスに参加をして、
人脈を増やしたり営業方法を学んだり、
という活動を行っていた。

ところが、卒業の間際になり、
お世話になっていた社会人の方数名から
引き止めに合う。

引き止められた理由は、
当時ネットワークビジネスが
社会問題になっていた、
という背景があった。

男は熟考した結果、
その道を断念することに。

従って大学を卒業した時点では、
男の進路は何も決まっていなかった。

今後の情報収集のため、
既に卒業をしているにも関わらず、
研究室のドアの暗証番号が変わっていない
ことをいいことに、
大学の研究室に『侵入』して、
調べ物をしていたのだった。

そこを担当教授に見つかり、
言われた言葉が、

『君はもう、うちの生徒じゃないじゃないか。』

だった。

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